#歴史

LIFE誌 september.11, 1944 パリ開放

69年前の今日8月25日 連合軍によりパリは開放された 写真は1944年9月11日号のLIFE誌 表紙には後送されるドイツ軍捕虜の列が写されている 後に100万人に及ぶNAZI PRIZONERS(ナチス捕虜)が 西側連合軍により主に餓死により抹殺されたというが諸説あり 真実…

キャンプドレイク

先週ちょっと思う事あって寄り道 最盛期この店の名称はPlay Mateだったの・・? (微かに窺える上の文字は何て書いてあるんだろうか?) マリリンモンローがply boyの巻頭を飾った時代は まだPlay Mateという名称は存在していなかった・・ そして今 この地の…

幕末ロマン② 戊辰戦争

戊辰戦争に於ける薩摩藩士 この時代でのシャッタースピードは如何様なのか? じっと長時間 レンズに鋭い眼を凝らし続けるのは なまらの精神力では無いだろう この時期にアングルを自然体に見える写真を撮れる・・ いわゆる報道写真元祖は フェリーチェ・ベア…

幕末ロマン① フルベッキ写真

ここに一葉の写真がある 幕末期に撮られたものだろうと容易に想像がつくが 実は写っているのがほぼフルキャストの幕末の志士達だと言ったらどうだろうか? 然も明治天皇まで収まっているとしたら? 実は私自身のmyブーム最興味がここにある これは有名な写真…

母の戦争体験⑦ 拙者は・・

戦前の事 母の所へドイツの日本駐在武官が新任の挨拶にやってきた 独特のナチス敬礼の後畏まって新任のご挨拶 拙者は○○で御座る! ・・・ 居合わせた一同爆笑! 本人は何故笑われているのか全く理解出来ない様子・・ 聞けば喜望峰を廻って来る船旅の2ヶ月の…

母の戦争体験⑥  余談 怖い話

余談。 戦時中にラジオで聞いたという話。 関東軍のある部隊が住人のいなくなった大きな農家に駐屯していた所・・ 兵隊がやたらにうなされたり幽霊らしき者を頻繁に見るという事で 建物を徹底調査した時の言うなればlive中継 (注。地下室に下りていく靴音。…

母の戦争体験⑤ 大陸での埋伏

終戦直後母の知り合い家族が大陸から帰ってきた。 その時の話。 ロシア軍から何とか逃れて 明日は日本へ行ける港まで辿り着けるかもしれないという晩の事。 日本人数人のグループであったその人たちは 中国人男性の農家と思しきあばら家に泊めて貰う 頼み込…

母の戦争体験④ 憲兵隊の拷問

憲兵隊達でよく麻雀をやったそうだ。 行く度に奥からなにかを叩く音、 この世の物では無いような呻り声のようなもの・・が聞こえてくる。 『あれなんなの?』と母が聞いても笑うばかりで教えて貰えない。 その時は解らなかったが後で思うと『政治犯』を拷問…

母の戦争体験③ 陸軍中野学校にて

英独語に精通していた母は敗戦直後に進駐軍上級将官達の『陸軍中野学校』視察に通訳として同行。 期せずして同所にあった射撃の標的に将官達が大型拳銃を取り出し打ち始めた。しかし全く当たらない・・ おもむろに母は護身用に持っていた婦人用コルトをバッ…

母の戦争体験② 九死に一生

原宿で大空襲を迎えた母は隣組?の人達と表参道周辺を逃げまどった。 ドイツ大使館に出入りしていたお陰で独軍ヘルメットと防毒マスクを持っていた事も幸いし運良く逃げおおせた。 翌日富士銀行の角には10m以上も死体が『吹き溜まり』 42人で逃げた中の生存…

母の戦争体験① spyは死刑・・

母は戦争の話をする時に『さきの大戦』と言った そのイントネーションのリアルさに小学生の私は身が震えた・・ 各国の大使館の電話盗聴を行っていた母はある日異常に気付く 中立国の大使館員達がある日を境に一斉に『疎開』してしまったのである 案の定間髪…