LIFE誌 september.11, 1944 パリ開放
69年前の今日8月25日
連合軍によりパリは開放された
写真は1944年9月11日号のLIFE誌
表紙には後送されるドイツ軍捕虜の列が写されている
後に100万人に及ぶNAZI PRIZONERS(ナチス捕虜)が
西側連合軍により主に餓死により抹殺されたというが諸説あり
真実は過去の闇の彼方にある
南方戦線に於ける
日本軍捕虜が割と厚遇された事を考えると
腑に落ちない部分も多分にある
然し連合軍の陸上戦を主体にしたヨーロッパ戦線でのギリギリの兵站事情を鑑みると
大量の捕虜への食料を賄いきれなかった事も頷けるか
戦陣訓に従い『生きて虜囚の辱を受けず』と
捕虜になる事を潔しとしなかった日本軍との『生存率』までを比較したくは無いが
この件はまた機会があったら文献でも漁ってみよう・・
特集は『パリの開放』
然し文中にはRobert Capaの名は見当たらない・・
と言うよりも
字が小さすぎてとても探す気にはなれないのが本当の所
翌26日『自由フランス軍』を率いたドゴールがパリに入城する
パリとはおとぎ話の伝説の剣のようだ
英雄の手のうちでは光り輝き、悪しきものが持てば鉛のように鈍くなる。
この7世紀ほどの間、そして1940年(訳注:ドイツ進駐)、そして先週(訳注:D-Day)
……支配者が変わるたび、西側社会の政治的実権もまた移ろっていったのだ ・・・なんだそうです
歓喜に満ちたパリ市内
パンナムの広告
既に空路では『世界制覇』を遂げている ・・(笑
世界地図の左手に日本列島があるが当時の日米は敵同士
当然太平洋上で交戦中に付き『日米航空路』は無い
この年の7月サイパン島陥落により日本軍玉砕
同8月グァム島陥落・・日本軍玉砕
『敗戦』がチラつきだした日本の国内は戦時色で塗りつくされているのに
LIFE誌上の広告からは戦争をしている深刻さは全く感じない・・
言わずと知れた『クリネックスティシュー』の広告