さくら~さくら~

スマートブレスレットたるモノが何たるかを
彷徨いながら検索していると・・

お~!

評価★★★★★!何と満点だっと思ったらなんだかオカシイぞよ

Amazonで先日検索していたら
他のは良いトコ★★★なのにこれだけが問答無用の満点ラッシュ

一ヶ月位経ったからちょっとは状況が変わったかと思ったら
流石に満点ラッシュでは無いにしろ
何かいまだにオカシイ。。

どうも複数のIDが流用されている?
(どうもその投稿自体も消された?)

ヒントは緑色のブレスのヤツ 
(何故かコピーできない・・)




築地市場

私が知っている築地市場
行列の出来る飲食店なんか存在せず
当然の如くインバウンドの観光客なんか全くいなかった

場内の飲食店は
仕事の合間に腹に詰め込む為の手段でしかなく
寿司店は寝不足の塊でしかない自営店主達が
仕入の後の憩いの一時を過ごす処であって
仕込みの段取りを思い巡らすと
それこそ眩暈に襲われ
平均寿命に至らない確信を深めてしまうのだ。。

42年前の私の時間給は700円
国鉄終電車で到着深夜1時半
そこから午後までぶっ通しだから
軽く給料は25日計算で大体20万オーバー
大卒銀行初任給が8万行くか行かないかの時代だから
それこそ今だったら50~60万てな所。。

美味しい仕事かっていったらオールオアNothing!
893、チンピラ崩れは一般的で
いかついガタイの連中は相撲部屋崩れ
要するに地元の期待を一身に浴びているから
挫折したら親元に帰れない・・
人並み以上に飯を食うから並の給料じゃ生きていけない。。。と

やっとこ狭い通路を御天と様の元までターレを出すと
正面から向かい合うのは上記の類の人々・・
あと僅か数メートルバックしてくれたら外に出れるのに
鉄面皮な鬼瓦顔で私を睨みつける・・
こっちもちょっとは吼えてはみるけど勝ち目は皆無
そっから数10メートルも対車状態でバック・・

自店じゃただでさえ忙しいのに
ターレがバックで帰って来たからそれこそ罵声の嵐だ
体はキツク無いけれど精神がヤラレル。。

それでもなぁ・・
今の私を形成しているのはまさしく当時の仕事だ
常人が全く縁の無い至極の世界が私を変えた

当時の仲買の社長は
私を一つ違いの息子の右腕にしたかった様子
そんな事言われたってまだ10代の大学浪人生だもん
大金の給料を頂いてウハウハだったけれど
元来はナマケモノだから体を使う仕事はとってもキライ

使い道無いんだけどさぁ・・

新築の分譲マンションの部屋を購入しては私に見せた
当時は何故だろうと不思議だったけれど・・

息子をバックアップしてくれたらお前にやるよ!

ってな事だったんだろうな
左団扇を絵に描いた様な稼業だけれども
やはり切れ者じゃないと2代目への継承は難しい。。

件の社長の店はやはり廃業していた

私が残っていたら?

思いを馳せる

多分に金には困ってはいない・・

月島、佃辺りの狭いマンションに住んで
祭りや地元のイベントには積極的に参加して
月並みだけど江戸前の嫁さんに娘が二人・・
たまの浮気がバレてシコタマ叱られたりしてて・・


おっとと飲み過ぎたかなぁ・・


















S君の場合

S君の彼女が入院した
大きな病気では無いのは予めに聞いていたので

何も慌てて行かなくても良いかなぁ・・

気にはなるのだが
急に駆け付けると足元を見られるようでどうも塩梅が悪い
何やらかんやら理屈を付けていたら
やっとこ病室を訪ねるまでには約一週間が経過していた

流石に怒ってるかなぁ・・

相部屋の病室を見つけるのは容易だった
引き戸を開けて恐る恐る中を覗くと
手前のベッドの縁に女の子が座っている・・
(おっとカワイイ子じゃん!)
女の子の目線の先にはS君の彼女がいる
S君を見ると上体を起こして満身で喜びを表してくれた・・

然し
S君の後ろめたさは訪ねて来るのが遅かったからだけではない
手前の可愛らしい女の子に目が釘付けになった事にも・・
悟られたら尚の事バツが悪い

幸い彼女は気が付かなかった様子で
貯め切っていた話題・・
それはもうまるで機関銃の様に
一気に手術の経過やら寂しかった思いの総てを吐き出した

話の途中で泣き出したのは
何もS君が来てくれたのが嬉しかっただけでは無い

心細かった彼女に優しくしてくれたのは同室の女の子だった

折角仲良しになったのに・・
昨夜その子が急死したの!

指さした先にはさっき女の子が座っていたベッド・・

気が付いたら
誰も出て行った様子も無いのに部屋には自分達二人しかいない・・

俺・・さっきそこで

S君は言いかけてやめた
可愛い女の子に目を釘付けにしたS君を
彼女が詰らなかった理由をも瞬時に察した



当然俺は幽霊なんて信じませんよ!

でもねぇ・・
あの時見た女の子の事は何だったんだろうかって
度々思い出しますね

そう言ってS君は笑った
















夜勤の理由

私の携わっている「怪しい業務」に(前投稿参照)
同僚として実年齢よりも遥かに若作りの女性が赴任した・・


夜勤だなんてご主人さん心配しません?

いえいえうちのも夜勤なんで大丈夫です

同じ様な仕事?

いいえ・・
言うならば葬祭というか葬儀関係というか・・

そりゃ大変そうな仕事ですねぇ・・

実は私、昼勤だったんですけどね・・

うん・・?

旦那が持ち帰って来るんですよね~・・

何を?

その~
何て言うか怪しいモノ

何かのコレクター?

そういうんじゃなくて目に見えないモノ・・

はぁ・・?

多分仕事柄持ち帰ってしまうんだと思いますけど
私だけ一人で夜寝てると・・

・・・

色々な事が起きるんです・・
要するに「意味不明な事」か・・

ご主人さんが憑かれて帰って来ると?

そうです!
私は霊感無いのに間違いなくオカシナ事が沢山起きるんです

それって怖いですね

だから夜は家にいない事にしたんです

それで夜勤希望?

そうなんです
夜勤以外は到底無理なんです

・・・



彼女の身に何が起きるのかはまだ聞いていない
当然ながら好奇心はあるが・・
聞かない方が私自身の「身の為」の様な
微かな予感めいた背後からの「窘め感」を感じている。。






異動

ちょっと
すったらもんだらがあって
暫くの間「業務異動」の憂き目にあっている。。

業績が上がったお陰で(上がり過ぎ・・)
広範囲の領域を任される事になったが
何せ遠方の支店は通勤に片道3時間は優に掛かる

大丈夫ですよ~!
通勤時間が一時間を超え分は時給扱いで手当てが出ますから・・

そういう問題じゃあ無いのだ
こちとら既に爺の齢領域なのだよ
1日24時間しかない貴重な時間から6時間も通勤に掛けられるかっつ~の!

ってな事を宣っていたらまぁ要するに「処分保留」状態・・

休んでいる間も給料補償されるような身分じゃないので
暫時他部門へ応援異動・・(もしかしたらずっと)

これがまた面妖な業務なのだ
守秘義務があって勤務地域や詳しい内容は口外出来ない
言える事とすれば・・
私が扱うのは主に有価証券、
現金だけでも毎日15億円にも達するという事
web上での扱いじゃないから重いのなんの・・

ビルは誰にも悟られない様にか恐ろしく地味な外観
なのに入館時は当然ながらも
トイレと食堂以外は凄まじい最新型セキュリティが巡らせてあり
一度入館すると朝まで釈放されないシステム・・

よく分からないけど
手に付いた札束の匂いが染みついて抜けない・・


実は私は懸念している。。

殆どの誰もが煩悩で金銭欲を持っている
私だって堕落しようがお構い無しで同様だ

もしかしたら・・

毎晩札束の山に埋もれている私は・・
違った形で「願望」が叶ってしまったのではないだろうか?

神様曰く

夢は叶えてやったぞい!
あ~・・
何も「自分の金に埋もれたい」とは聞いとらんぞなもし

まぁいいや
年金は何時から貰おうかなぁ 
だなんて至って穏便平和な日々なんである。。












地雷

娘が自慢したいばかりに地雷を踏んだ

やったー!体重49kだってさー!

何だよ!喧嘩売ってんのかゴラァ。。  by mamaちゃん
(夜は長いってのにイキナリ戦闘モードに突入)

そう言えば部活辞めたせいか足細くなった気がするナァ・・ (私の心の声)

戦闘モード全開のmamaちゃんのソナーには
どうも周囲の心の声も検知されるらしい・・

足の太さも引き合いに出された全力集中砲撃に娘は敢え無く撃退

恐ろしいねぇ・・

mamaちゃんが似てるったら誰なのかねぇ
ん! トランプ大統領に似てるったら似てるなぁ。。

どこが?っていったらそりゃ勿論!・・
おっとぉ。。やばいやばい君子危うきに近寄らず

誰が危ういのよ! (# ゚Д゚)












気温変動

「死に関わる」を前提とした高温警報を
ニュースで盛んに流している・・

最近では
一酸化炭素排出による地球温暖化なんぞの議論はすっかり影を潜め
躊躇無いエアコンによる緊急避難をやたら推奨する始末

なりふり構わない報道姿勢は
果たしてどの位本気の警鐘なのだろうか?

私の職場の身近な同僚達でも
この一週間で3人が早退し2人が休みを取った。。


さてと実際に
50年前とはどの位の気温差があるのだろうか・・

当時の私は都内の小学校4年生
同級生で家にエアコンが完備されていた者は
記憶の限りでは一人だけだった
然も前年まで2年間仕事の関係で住んでいた横須賀では
夜は窓を閉めて寝る・・
要するに夏でも夜中は肌寒かったのだ

所が都内はやはり事情が違う
アスファルトの道路は熱を保ち続ける為に中々寝付けない夜が度々ある
我が家が初めて扇風機を買ったのはその頃だった

夏休みの学校のプールは大盛況
子供達が日中の暑さを避けるには最有力な手段であり
然も夜は疲れから熟睡できる一石二鳥の要素も含んでいた

時は昭和43年の東京中野区の野方駅
現在の三菱ufj銀行の店頭には現在時刻と気温が表示されていた
越境通学の私は
角を曲がったら見え出すその時刻掲示で電車の待ち時間を計る・・
と同時に表示気温で夏休みの暑さのピークを推察したものだ

記憶している最高気温は33度
精度に若干の誤差はあったかもしれないが
以降数年に及んでそれ以上になった記憶は無い・・
要するに大体が30~31度程度
夏のピークになればやっと32度・・33度は本当に稀といった次第

その頃の1~2度程度の差でさえ
「気温表示」を見る前に体感で推察可能だった位だから
現在の「約40度」なんざ想像の域を遥かに超えている事になる

・・・・

現在の職場のエアコンも既にオーバーフロー状態
室温も常に30度を超えている・・
午後3時頃には呼吸も苦しくなり目の焦点が合わなくなる
然し早退したとて外は炎熱地獄なわけだから
まだしも職場内の現状の方がましと捉えて我慢する

あと2ヶ月はちょっと無理かも・・

涼しくなるであろう
9月末まで私の心臓は持つのだろうか?