築地市場

私が知っている築地市場
行列の出来る飲食店なんか存在せず
当然の如くインバウンドの観光客なんか全くいなかった

場内の飲食店は
仕事の合間に腹に詰め込む為の手段でしかなく
寿司店は寝不足の塊でしかない自営店主達が
仕入の後の憩いの一時を過ごす処であって
仕込みの段取りを思い巡らすと
それこそ眩暈に襲われ
平均寿命に至らない確信を深めてしまうのだ。。

42年前の私の時間給は700円
国鉄終電車で到着深夜1時半
そこから午後までぶっ通しだから
軽く給料は25日計算で大体20万オーバー
大卒銀行初任給が8万行くか行かないかの時代だから
それこそ今だったら50~60万てな所。。

美味しい仕事かっていったらオールオアNothing!
893、チンピラ崩れは一般的で
いかついガタイの連中は相撲部屋崩れ
要するに地元の期待を一身に浴びているから
挫折したら親元に帰れない・・
人並み以上に飯を食うから並の給料じゃ生きていけない。。。と

やっとこ狭い通路を御天と様の元までターレを出すと
正面から向かい合うのは上記の類の人々・・
あと僅か数メートルバックしてくれたら外に出れるのに
鉄面皮な鬼瓦顔で私を睨みつける・・
こっちもちょっとは吼えてはみるけど勝ち目は皆無
そっから数10メートルも対車状態でバック・・

自店じゃただでさえ忙しいのに
ターレがバックで帰って来たからそれこそ罵声の嵐だ
体はキツク無いけれど精神がヤラレル。。

それでもなぁ・・
今の私を形成しているのはまさしく当時の仕事だ
常人が全く縁の無い至極の世界が私を変えた

当時の仲買の社長は
私を一つ違いの息子の右腕にしたかった様子
そんな事言われたってまだ10代の大学浪人生だもん
大金の給料を頂いてウハウハだったけれど
元来はナマケモノだから体を使う仕事はとってもキライ

使い道無いんだけどさぁ・・

新築の分譲マンションの部屋を購入しては私に見せた
当時は何故だろうと不思議だったけれど・・

息子をバックアップしてくれたらお前にやるよ!

ってな事だったんだろうな
左団扇を絵に描いた様な稼業だけれども
やはり切れ者じゃないと2代目への継承は難しい。。

件の社長の店はやはり廃業していた

私が残っていたら?

思いを馳せる

多分に金には困ってはいない・・

月島、佃辺りの狭いマンションに住んで
祭りや地元のイベントには積極的に参加して
月並みだけど江戸前の嫁さんに娘が二人・・
たまの浮気がバレてシコタマ叱られたりしてて・・


おっとと飲み過ぎたかなぁ・・