文化

当時住んでいた安アパートの近所にあった小料理屋が
或る日突然夜逃げした

経営難とは思えなかったが
実はママさんが客と駆け落ちしたと判明
駆け落ちの晩にタクシーに乗り込む二人に出くわして
たまたま挨拶した私が「愛の逃避行」を見届けた最後の客となった

やがて
店は改装工事が始まる

今度も飲み屋さんかね・・

所が開店したのは何ととんかつや

う~ん・・あまり縁は無いやね・・

店は小さくて丁度「深夜食堂」の半分位の片面カウンター席のみ
外から店の様子は覗けるがその後も客のいた例が無い・・

こりゃ長い事無いなぁ・・とか思っていたら
カウンターの端っこに毎晩同じ人が座るようになった
毎晩とんかつを食べるのも変な話で
よく観察してみると・・どうも一杯飲み屋の代わりにしているらしい
好奇心からちょっと覗いてみると各種酒類がめちゃくちゃ安い

とんかつって頼まなきゃダメですか?

人の好さそうな店主は頭を振る

良いですよ~!
この人なんか頼んだ事無いし~

指さした先には既に毎晩カウンターの端を占有している件の男性・・
そして逆側の角に座った私の席は
その後約5年に及び私の指定席となった

通い出してみると
件の客もマスターも話題豊富であっという間に時間が経ってしまう
残念なのはとことん客が来ない事

つぶれて貰いたくないね~

私もつぶしたく無いです~

マスターは基本的に口下手
そこで既に馴染み客の私と件の男性が一肌脱ぐ事になった

希に来る客に営業を掛けるのである
楽しいひと時を過ごして貰ってリピート狙い・・
これが功を奏してか店は馴染客が毎晩カウンターを埋め尽くすようになった

入りきれない客は外の歩道でビールケースを引っ張り出して座る・・
二階への狭い階段に鈴なりで並んで座る様子なんか圧巻であった

週末の夜なんか私の会社に電話が掛かって来て
指定席借りても良いかなぁ・・なんて始末
中野坂上からちょっと下ったこの場所は今思い出しても変な客ばかりだった

両小指が根元から無い着流しの博徒
16歳の超美形の女の子をいつも侍らせているし
役所勤めやピアノの調律師は酔うと完全なオネエ言葉になってすり寄って来る
(周辺に住んでる半分はそっち系)
CM制作や有名メイクアップアーチはTV関連でスキャンダラスな話は尽きないし
亭主公認の不倫カップルやゲーマー、
ホストを連れて来て変態客の話で盛り上がる風俗嬢
大手銀行の支店長までやって来る様になった

所がこれだけ客が来ているのに誰もとんかつなんざ頼んだりしない

開店して一年も経った頃に思い付いて聞いてみた・・

もう・・とんかつなんて置いてないんでしょ?

マスターは口籠る・・
カウンターの皆が揃って笑い出したのを制して言った

お陰さんで毎日私の賄いはとんかつ用に準備してある肉ですが・・

それでも客の皆は気にしちゃいない
何て言ったってマスターは元は洋食系の大店を仕切った人
どんな無茶を言おうが難題を吹っ掛けようが
丸で魔法の様に絶品な料理を袖から出してくる・・

然し何をとち狂ってとんかつやにしたんだろうか?

・・・

彼は老いたが今も市ヶ谷で店をやっている


然しさぁ・・
深夜食堂」ってあの頃の俺達の文化に似てないかい?
もっとはちゃめちゃではあったと思うけど
丸で俺達のエピソードを小出しにしているみたいな内容だしね

誰か物書きか脚本書いてる様なヤツっていたっけな~?