ふぅちゃん

もう50年も前の話

家業の関係で一時期
東京から横浜、横須賀までを転々とした

横浜のはずれは当時ベッドタウンでもあり
都内山の手の感覚でも
人付き合いには何の不具合も感じる事は無かった

所が
横須賀の近郊は様子が違った

海が臨める地域だった事もあるのかもしれない
荒っぽい気質は微温湯育ちの私を著しく委縮させた

苛めや村八分程では無いが
母が近所付き合いに苦労していた記憶がいまだにある・・


前説が長くなった


我が家の斜め前には私鉄の踏切があった


全く
流行やルールさえ違う子供同士の環境に
すっかり辟易していた私は
すぐに家周辺での友達付き合いを諦めた

然し
「ふぅちゃん」は違った

何の躊躇いもなく我が家を訪ねて来たし
飽きずにいつも愚痴っぽい私と行動を共にしてくれた

防空壕跡を探検したり
近隣の山の獣道を探索したり・・

楽しく眩しい日々は
いつも彼と一緒だった


ある日突然私は
東京へ戻る事になった

私自身は一時的な事と解釈していて
「ふぅちゃん」との感傷的なお別れは憶えていない

が然し

彼とはそれきりになってしまった


数年が経って
不意に母が当時の話に触れた


お前と仲の良かった男の子・・

・・・?

うちの前の踏切で事故で亡くなった男の子だよ

・・・?

ふぅちゃんだよ・・

・・・?

私たちが東京に戻る一か月位前の事故
あんなに仲良かったのに覚えていないのかい?


何を言われているか理解出来なかった


だって
東京に帰る直前まで「彼」とは
いつも一緒にいたから・・


何かの勘違いだったのだろうか?


然し親友の不慮の死の記憶が無いなんて・・


詳細を聞き正そうにも
母もとっくに「鬼籍」に入っている

気が付けば「ふうちゃん」の風貌も記憶にない

真相は「川の向こう側」

渡ったら忘れずに聞いてみようか・・