日本酒考

イメージ 1
昔の話だ 
 
中野坂上の程近くに『とんとん亭』という店があった
 
店主はトンカツ屋のつもりで命名したようだが
開店して2ヶ月もすると地元の飲兵衛不良達に占拠され
カウンター席しかない店内は各人の座る席さえ決まっている有様だった・・
 
当然、呑み助達は既に内臓の各所が痛んでいるもんだから
トンカツなんてカロリーの高いモノは頼まない
 
頼まれないけど店前の新品のテント地には
大きな字で『トンカツ』と謳ってあるからし
仕込みを怠る訳にはいかないのである
 
賄いの毎食を残り物のトンカツばかりの店主は
同じ豚肉でも『焼き豚屋』に様変わりしつつある店の将来を密かに案じていた
 
 
ある晩の事
 
私は仕事先で不思議な一升瓶を知り合いから頂いた
 
栓に何故だかパンチで抜いた様な穴が開いている・・
色も上部は透明だが下半分は白濁しているようだった
 
良く振って飲んで下さいね
 
いつもお世話になってるんで・・青年は照れながら言った
 
 
違います・・笑って頭を振ると彼は去って行った
 
ふ~ん・・?
 
一升瓶を股に挟んでスクーターで帰路についた私は
勝手知ったるとんとん亭のビール用冷蔵庫に件の『妖しい酒』を静かに沈め
カウンターの一番端の特等指定席に身を埋めた
 
店主は黙ってウイスキーのダブルとお通しを置いてくれる・・
 
『トンカツある?』
 
毎晩の事だもの
聞くだけで絶対オーダーしない不良達と周波数が合うまで
さしても時間は掛からない
 
10杯呑んだら2000円と金額も決まっている
したたか酔った私は目と鼻の先の自宅までスクーターを押して・・
 
あっ!酒を忘れたぁ
まぁ残ってる連中が飲むだろ・・
 
 
翌晩の事
 
前日の酒の事なんかすっかり忘れている私は
いつもの時間にいつもの端席に・・
(あれ・・みんなの雰囲気が違うゾ・・)
 
いきなり不動産屋のOさんが口を開いた
 
ここに酒沈めておいたのジャンボだろ? (私はジャンボと呼ばれていた)
 
そうだけど・・何か?
 
昨夜あれから皆で勝手に飲んだんだよ
 
そうだったんだぁ いやぁ貰い物だし別に口に合えばそれで・・
 
そうじゃないんだよ
気が付いた時にはラベルも全部溶けてしまっていたんで
酒の名前が知りたいんだよ
 
・・・?
 
ここにいる全員の意見だけど
あんな上手い酒は誰も飲んだ事が無い・・
せめて名称だけでも知りたいんだよね
 
それじゃ・・明日また合うだろうから聞いてみるよ
 
それと
購入できるんだったら10本はお願いしたい
 
いくらって言えばイイ?
 
そうだな・・
1本一万円以上でも構わないさ
あの酒で不動産取引が成立するなら2~3万だって惜しくない
 
え”-そんなに凄いの?あの酒?
(イッパイ位残せよな!)
 
・・・
 
店主も含めて皆が首を縦に振った
 
 
さて翌日
 
私は件の青年に切り出した
 
あの酒・・凄いんだね
 
有難う御座いました 喜んで頂ければ・・
 
いくらだったら買えるの?
 
残念ながら売り物じゃ無いんです
 
1万以上出してもイイって言ってる人がいるんだけど
 
価格を付けるなら・・10万以上になると思います・・
 
え”-!なんでぇ?
 
実は・・
 
彼の実家は地方の造り酒屋を営んでいる
体質的に全くアルコールを受け付けない彼は
跡取りを切望されたが叶わず
東京の大学を出てそのまま就職したそうだ
毎年10本だけ
遠地で勤め人を続ける彼を不憫に思って
親達が選り抜きの極上部分を抽出して送ってくれる・・
 
人付き合いで大切にしたい人にあげなさい
きっと喜んでくれる筈だから・・
 
でも本当は・・
酒が飲めるようになって家を継いで貰いたいんでしょうね
私がこのまま東京に居続けたら
代々続いた家業は廃業となってしまいますから
 
・・・
 
彼はその晩わざわざ私の為に
四号壜に移し変えた『幻の酒』を再び持ってきたくれた
 
良い話ダナァ・・
 
その晩の不良共は何故か神妙だった
僅かずつ分け合った極上酒を初めて口にした私は
えも言われぬその荘厳な味の記憶は決して忘れる事は出来ないだろう・・
 
今日は商売上がったりだけど・・
こんな夜があっても良いねぇ
 
店主も
こんな不良達相手に『焼き鳥屋』も良いかな
と思っている様子。。
 
 
私を大事な人の1人と思ってくれた彼の名前も顔も
今となっては記憶の彼方に霞んでしまい思い出せはしない
 
然し縁あって我が家にやってきた『越乃寒梅』が
走馬灯の様に懐かしい記憶を呼び覚ましてくれた
 
 
あぁ 彼の実家は新潟だったんだな・・