幼い時の記憶・・いつ位まで遡れる?

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かの『三島由紀夫』は自身の生まれた時の産湯の記憶があったそうだ


何かで読んだ本で

まだ幼い子供にトックリセーターを買ってやった所
盛んに首の出し入れをしながら怪訝そうな顔をしていた描写があった

『そうだ!産まれた時といっしょだ!』

・・・

さて幼い時分の記憶はどこまで遡れるのだろう?


私には初めて歩いた瞬間の衝撃記憶がある


目が覚めたら誰も家にいない・・

畳を這いながら縁側の柱を伝って立ち上がる

この世に置き去りにされた恐怖で胸がいっぱいとなる

濡れ縁を数歩たどたどしく歩いた瞬間に

買い物籠を下げた母の驚愕の顔が目に入って来る・・

腰砕けになり息も出来ない位に大泣き・・


生まれて初めて私が歩いた瞬間を見たのは
まさしくこの時だったと私が成年してから母は語ってくれた

・・・


中学一年生の時に担任の先生からクラス全員に質問があった

小学校一年生の時の記憶がある人!

挙手したのは確か3分の一程度だったか・・

小学校時代の担任の名前を全て記憶していたのは
ほんの一握りだった


記憶は思い出す度に『上塗り』されていくのだそうだが・・


生まれて一年ちょっとまで住んでいた『麻布』の家

間取りは元より

濡れ縁 飼っていた犬 門からの玄関までの飛び石

向かいの家の火事 営繕に来た大工の見事なカンナ屑

バイクに跳ねられて耳から出血した記憶・・


その後に住んでいた『新橋』の家の記憶もある


果たして私は何を懐かしんで記憶を上塗りしてきたのだろうか?


残念なのは

『麻布』時代に隣に住んでいた
仲良しのアメリカ大使館の娘『ウナちゃん』の記憶・・

とっても仲良しだったそうなのだが
金髪ブルーの目のとても美人だったという彼女の記憶が全く無い

親同士も仲良くて『許婚話』も冗談で出たとか出なかったとか・・


まぁどうせオムツをしていた同士だ
たかが知れてはいるのだが・・


後年彼女もアメリカ帰国後に親から聞かされたのだろうか?

果たして仲良くした『東洋男児』の記憶はあったのだろうか?


こうして記憶はまた上塗りされて
私の『記憶の宮殿』は更新されていくのだろう・・