う散歩  キャンプドレイク番外 手榴弾②

何故
旧軍被服廠跡地から小銃の一部やら手榴弾が出土したのか?
 
上辺だけの私の勝手な検証
 
そう言えば終戦直後に
『川口放送所』というラジオ局を占拠して
徹底抗戦を計った旧軍関係者の中に
朝霞の陸軍予科士官学校の関係者がいた筈
 
玉音放送の内容は
とっくに命を投げ出す覚悟の将兵達を混乱させていた
 
結局
決起した将兵も奮わず
電力供給を絶たれて万事休す。。
鎮圧部隊(穏健派)に諭されて『武装解除
 
8月15日の玉音放送の後に
優に一週間以上の間『武器』は各部隊の任意の管理下にあった・・
 
さてどうだろうか?
 
鬼畜米英の兵士が進駐してくる・・
 
敗けたとはいえ
自分の家族には女子供もいる
 
万一を考えたら
武器を身近に備える者もいたのでは?
 
実際に進駐軍の『東京入り』に対しては
懸念されていた反攻も無く
無条件降伏による『完全服従』の浸透に逆に驚いた位の有様
 
然し『鬼畜米英』の侵攻に対し
何も覚悟が無かったとは思えない・・
 
貴方は例えば朝霞の『陸軍予科士官学校』の関係者
多分に武器の融通が利く位だから仕官クラスでしょうね
 
所が進駐してきたのは
思いがけずフレンドリーな米兵と
片や自身が万一を覚悟して隠し持ってしまった小銃やら手榴弾の類・・
 
人気の無い『被服廠』工場跡地に
夜中にこっそり埋めに行ったって。。
 
慌ててたから
浅く埋めちゃったって。。
 
70年も後に小学生が拾って投げちゃったりしても。。
 
中々人には言えませんよねぇ。。
 
関係ウィキ
 
私が『物書き』だったらなぁ・・
 
絡んで『当時モノ』の
夢ロマン、人間模様で小説書いちゃうんだけどナァ。。    むふふ・・